第10回「世界はどうなっているのだろうか」は関西大学の井谷聡子氏に「オリンピックをクリティカルに読む」と題してお話しをして頂いた。先生はアメリカとカナダで勉強され、ご専門は身体文化論とスポーツ社会学。

〇オリンピックのイメージと実像

 オリンピックのイメージとして参加者からは、商業的な面と平和の祭典という点、そして、人間の身体の限界への憧れが挙がった。事実は古代オリンピックと近代オリンピックとでは異なる。古代オリンピックではアマチュアイムズがあり、国家の代表が競い合うのではなく、地域やクラブの代表が出場していたし、男性だけだった。そして戦争を止めたこともあったと言われている。一方、近代オリンピックは1896年のアテネから始まり、パリ大会から女性が参加し、ナチス下のベルリンオリンピック(1936)から、国旗の掲揚や国歌斉唱、セントルイス大会(1904)からメダルの授与が始まった。ベルリンでは特にアーリア人の優越さを示そうとする民族主義が現れている。この時、三段跳びで田島直人選手が3位に入る。

 70、80年代から大企業のスポンサーが介入し、オリンピックがメガイベントになってくる。この手法はローマ帝国下での愚民政策、いわゆる「パンとサーカス」としてオリンピックが政治的に利用されていると考えられる。つまり、人々の目を政治ではなく、気晴らしや興奮するイベントに集中させて、政治を進めるやり方である。

 

〇オリンピック開催について

 先生のお話しで驚いたことは、1964年の東京オリンピックの時に立ち退きを強いられた人が、今回の2020年でも立ち退きを強いられているという事実である。なぜなのか。ひとつは、貧しく力のない人々がいつも犠牲になっていること。例えば、北京オリンピックの時は、およそ150万人の人々が移動させられたという。このような現象は世界で発生している。バンクーバーではカナダ先住民、ロンドンでも貧しい地区での追い出しがあった。特にリオ・デ・ジェネイロのスラムであるファヴェーラでは、驚くような人数の黒人が軍警察により殺されている。

 

 ロンドンオリンピックではテロ対策ためにミサイルが配備されたし、2020年の東京ではテロ対策のために共謀罪が施行されようとしている。また、セキュリティ対策としてイスラエルと協力する。その費用が莫大であり、その技術はおそらく軍にも応用が可能であろう。また、ソチのパラリンピック開催期間中に、ロシアはウクライナへ軍事介入している。この例などは、まさに戦争するためにオリンピックを利用している例である。このような事実を知り記憶することが、ひとつの抵抗運動になると先生は言われたことが印象的であった。

 

 どこのオリンピックでも、国内問題より、オリンピックのための施設や道路の開発を優先している。このことをGentrification(ジェントリフィケーション)という。また、特徴的なことは、公園などの公的なものがオリンピックのために壊されて、そのあとは民間の企業が開発するという事例が多い。この現象も世界的である。オリンピックの華やかな面しか報道されないが、背後では立ち退きをはじめ、理不尽な暴力がある。このことは知っておくべきことであるし、それが平和への第一歩になると思った。